EK FRACTAL

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日常にある穏やかさ

 

午前中、ある用事で新宿御苑前に向かった。

 

その電車の中、酔いそうだったのでスマホは手に取らず、隣に座る老婦人ふたりの会話をごく自然と聞いていた。(そういう趣味なわけじゃなく〜たまたま)。

 

仲良いお友達とちょっと電車でおでかけ〜という感じのふたり。70代くらいかな。

 

「ポシェットがボロボロになったから、同じものをまた買ったのよ〜。」(いま身につけているポシェット)

『あらいいじゃない♡』

「でもお家に帰ったら、昔買っておいて使ってなかった同じポシェットが出てきたの!だから私はボロボロのポシェットと新しいポシェットと今のこれで、同じのが3つになっちゃったわ〜笑」

『いいじゃない!素敵なポシェットだもの〜いっぱい入りそうねぇ。』

 

そんな感じの会話。+α

 

、、、へ、、平和だ。

、、、和むーーー。

 

よくあるオッチョコチョイ話。ささいな内容。

微笑ましいなぁ、、って自然と笑顔になった。

 

ふたりの隣である意味聞き耳をたてている私の【ある用事】は、そんな微笑ましいものとは真逆で。

心中とっちらかっている様なもので。

常に、無意識のプレッシャーを抱えている。度々顔を出しては私を苦しめる。

 

でもあの瞬間は、吹っ飛びましたわ〜

なんだか良いなぁ(癒)、、って^^

 

その後、ある駅で別の老婦人(60代くらい)が車内へ。

若い子も男性も、だぁれも席を譲りません←

そのご婦人の目の前に座る20代とみられる女性の視線はスマホ(というか周囲の皆スマホスマホスマホor寝たふり←)。

 

心が和んだ直後でポジティブ充満の私はすぐに気づき、少し遠い所に居るその老婦人に声をかけるタイミングをうかがう。

席を立ってからだと、斜め前に立つおじさんがすかさず座るかもしれない、、。

そもそもこの老婦人が「私は大丈夫よ!!!」と断る結果の場合は私のお声がけは『年寄り扱いした』と失礼に値するし、私のガラスのハートはいとも簡単に傷つく。(経験あり。なんて難しい世の中だ。断られると切ないものです)。

 

どうしたもんだかと思いながらもじっと老婦人に視線を投げかけ、こちらを向いたタイミングで中腰になり(斜め前のおじさん対策)、勇気をだして声をかけた。「すぐに降りるのでどうぞ」

 

彼女が『どうもご親切に、、』と快く応えて下さったので、私はあぁ良かったとほっとして席を譲り、新宿御苑前まではドアの側で外を眺めた。(本当はすぐに降りないのだよ。カッコイー!←自己満足)

 

何が言いたいかというと、、、

 

常々、私は綺麗事ばかりの偽善者だよな、なんて思うけれど、

 

でも良いよ、それで。

 

ってこと。

 

綺麗な事を言わなくなったら、夢なんて抱けない。

偽善な者と扱われようが人の言動から良心がなくなったら、まわりは殺伐とした空気になる。

 

私はこれでいいし、これがいい。そうあらためて思った。

 

直前に聞いていた老婦人ふたりの会話も。

あぁこういう空気がとても好きだ、と感じた。

穏やかで、微笑ましい。

 

 

私は自分の良心に従って生きていきたい。

日常に在る穏やかさを大切に感じとって生きたい。

 

生きていると、何かしらある。

誰だって何かと抱えて生きている。

命を繋ぐためには、波の様に押し寄せる苦しさに耐えなきゃいけない時もある。

そんな時も自分で自分を励ましながら、温かく見守ったり、時にお尻を叩きながら、精一杯ひとは歩むけれど、虚無感、枯渇感、寂寥感、焦燥感、ふとした時に訪れるしんどい感情はあげだしたらキリがない。

 

その感情に負けたくないな。

 

【ある用事】は無事済んで、

ひとまず「また一歩」そんな気持ちです。

 

ファミレスでひと休み〜

ランチ後のコーヒー何杯目かしら。

 

ひとりのんびりな時間はとても貴重です。

(気楽なおひとり様がデフォ( ^∀^)v ←)