EK FRACTAL

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『アルケミスト』 唯一の責任

 

夜が明ける前に目を覚ましたとき、いつもの目の前の世界が静寂に包まれているというただそれだけのことで、なんだかここはまるで別世界みたいだなと感じた。

自分は何からも遮られていない。ただひとりで、辺りは静かに澄んでいる。

とても護られているような、そんな安堵感にみたされて、心が落ち着いていた。

 

この感覚だ、と思った。

好きだ、あぁ本当に好き。純粋に感動して、これからははやく起きよう!そのためにはやく寝ないとねって、こういう静寂が私には必要なのだと思った。基本的にとても単純で素直な人間なのです。

 

夜明け前に目を覚ます。

この習慣はなかなか難しい。いつしか自然と自分の当然になればいいな。そんな願いを込めて、今では寝るのが遅くなったときも目を閉じる前には「太陽よりも前に!」と念じたりする(笑)。

ちゃんと起きられたときは、私にはとっておきの時間になる。

 

しかしそんな想いとは裏腹に〜〜、、、

数日前、本に熱中してしまい、むしろ明け方に寝落ちするしまつでした、、。やれやれ   すこし前に購入して、いつか読もうと思っていた本をついつい手にとってしまったが最後。うとうとしながらも止められなくなったからです。

 

自分の感覚が求めてるものに出会った時の集中力。まぁ、これはひとつの自慢だな←   言い訳、、、

 

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

 

アルケミストパウロ・コエーリョ

 

それまでは「時間がないし、、」って横目に見ていたのに、その日ベッドに入るときふいに読みたい気分になったのは、これも本書が語る「前兆」というものだったのだと今は思う。

 

羊飼いの少年が宝物を見つけるまでの旅。

 

丁寧なレビューはいつかの課題にして、今回は感銘を受けた箇所の内ひとつだけ抜粋します。

 8月の記事に書いた【責任】というキーワードが出てきて、ここははやめに記録しようとドキドキしたのです。

 

過去記事*⋆*✩ (潔く選択して、潔く全うしたい。 - EK FRACTAL)

 

 

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「そうだ。宝物を探したいということでさえそうなのだ。『大いなる魂』は人々の幸せによってはぐくまれる。そして、不幸、羨望、嫉妬によってもはぐくまれる。自分の運命を実現することは、人間の唯一の責任なのだ。すべてのものは一つなんだよ。

お前が何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ」

セイラムの王様 メルキゼデック

 

自分の運命を実現すること。それが人間の唯一の責任なのだと王様は少年に教えます。

 

王様のこの言葉を読んだ時、自分が数日前に書いた「ひとは責任と生まれてくるのかもしれない」という言葉の真意はこれなんだって、胸が高鳴りました。

 

ひとの歯車が狂うのは、そして自分の世界とまわりとの噛み合わない連鎖が起こってしまうのは、自分の運命という責任を全うしていないからなんだ。自分自身を省みて私はとても腑に落ちました。

 

*

 

あるとき、私は自分の責任をすべて手放して、本来の自分に還ろう、自由になろう、と躍起になっていたことがあって。結果的にその【責任を感じていたこと】に終止符を打った。

この選択は間違っていないという確信がある。心に正直な潔い選択。大正解だった。

 

でもこれは【責任】を手放したからなのか?といったら、どこか違和感が残った。「責任を手放す=自由」という視点は違うんじゃないかと思っていた。そこは自分の心を誤魔化せないポイントだったんだと思う。素直だけど、とても頑固者。めちゃめちゃ頭が堅い。

 

本書を読んで、あぁそうか、私は責任を手放したのではなく、本来の責任に還ったんだと思いました。

 

私は【責任】という言葉じたいには嫌悪感がない。むしろその言葉がもつ重みは生きていく上で大切にしなければいけないもので、ひとのひとつの指標の様なものだと思っていた。そして何かを選択したときには責任が伴う、それは至極当然の事だと。

 

私は無責任なひとが大嫌いだ。自分の選択したことによる結果を誰かのせいにしたり、不可抗力のせいにしたりする人には、ちょっと待てそれ貴方が選択したんでしょ??って思う。そもそも結果以前にその【選択】じたいを誰かの選択だと責任転嫁したりするのを目の当たりにすると、この人論外だなって思う。本当にそういうのが嫌い。

そしてそんな人はたいてい平気で嘘をつく。保身の塊で、他者の傷には無頓着。貴方の良心はどこ?って、怒りを通り越して驚いてしまう。

 

いや、ひとの心を傷つけたっていいのですよ、、誰だって誰かを傷つけるものだから。何をしたっていい、誰もが自由。それは大前提。でもそれは、その選択を、そしてその結果を、あとで誰か(何か)のせいにしないという潔さがあってこそだと私は思う。

 

だから、責任は手放すものではなく、常にひとと共に在るものだという感覚が私には一番しっくりきていた。【責任】という概念が、=不自由=不幸=悪という展開は、私にとっては違和感でしかなかった。責任が悪になるときは、責任を呪縛に感じる自分の心が悪であって(がんじがらめになっている自分の意思が【悪】ということ。)、=本来の責任を全うしていない事による心の不調なのだとわかった。

 

責任を全うすることは、努力を伴うことであって、羊飼いの少年がその旅路で幾度となく壁にぶつかった様に自問自答を伴うもので、なかなかにしんどい。けれども、前兆に従って、自分の心に従って、潔い選択を繰り返しながら追求する責任は、運命そのもの。"自分の運命を実現することは、人間の唯一の責任なのだ。"

 

責任=悪ではなく、=運命。そして使命。

 

私は自分の運命を潔く全うしたい。

前兆を取りこぼさずに、心の声を聞いて、精一杯生きたいな。

 

なんだかうまくまとめられなかった気がするけれど、、それでも、ひとまず今はこのまま残します。