EK FRACTAL

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2018年の1月と『ノルウェイの森』

ある時、持っていた本を全部ー本当に全部ー捨ててしまった事がある。

 

学生時代に熱心に読んでいた本の束、もしくは幼少期から持ってた本もあったかもしれない。ぎゅっと縛って、迷うことなく捨てたのだ。

 

数年後のある時、それらは本当に好きだった本だから、もしかしたら捨ててないんじゃない?親にあずけたとかじゃなかったっけ?

なんて、馬鹿みたいな希望がぽっと湧いて、でもすぐに絶望感に包まれた。

捨てたシーンをやっぱり覚えていたから。

はっきりとではなく、ゴミ捨て場に置かれた本の束のワンシーンが記憶に残っていた。まるで古い映画に出てきそうな白黒写真の一枚みたいに。

 

あの時は、何故ああしたかったんだろう。

きっと少し絶望していたときで、

きっとすがるような希望を新しいなにかに抱いていた。

 

あししげぐ図書館に通うようになって、昔熱中していた本をまた借りてみたりする中で、もったいないことしたなぁ〜なんて少し思う。

 

でも、あの頃の自分ではなく、これからの自分が手元に残すであろう本は、もう捨てることがないなと、たしかに思う。

 

10年ぶりに『ノルウェイの森』を読んでーあと15ページくらい残っているけれど、また明日ーこれは買うんだろうなって思った。

 

ーさあねじを巻いてきちんと生きていかなくちゃと僕は思うのです。君がそこできちんとやっているように僕もここできちんとやっていかなくちゃと思うのです。

 

いま、少し立ち止まっている時間です。

主人公のワタナベくんが泥土を歩いている様な時間にすこし似ている。

 

山積みな「しなければならないこと」の中から、必要最低限だけを選択して歩いて、夜がきてまた朝がくる。そしてまた必要最低限をこなす。ただの繰り返しの数日間に、そろそろ加速度をあげる頃合いだろうに、、と思うのだけど、ただ自分の中のなにかが止まっているのを感じる。

 

2018年の1月。すこし哀しかったな。

 

目の前の2月。きっと動き出せる。

スイッチが押されたとたんに発揮される自分の集中力は知っているから。大丈夫。

 

押されるタイミングは神のみぞ知るなわけで、、

足掻くのはナンセンスなのだ。

 

言葉を発する、というところに戻ってこれただけでも、あぁこれは良い兆候だ、なんて感じています。

 

さあねじを巻いてきちんと生きていかなくちゃ。